そんなゴールをするために生まれてきたんじゃない

 

「しにたい」



このキーワードが老若男女問わず日本で氾濫している



子どもと大人では「しにたい」の感覚に違いがある。子どものイジメからの「しにたい」はもちろん大問題だが、一番の味方であるはずの親からの虐待は何より悪だ。何かの自己顕示欲なのか、身勝手な理由で子どもを傷つける。何をされても受け身しか取れない立場だから嫌でもそこにしか居場所がない。当たり前だが大人がいなければ生活はできない。そこで親の強い立場を逆手にとって虐待を繰り返すクズが世の中には大勢いる。子どもは未来の光。その存在を守るどころか自分の「フラストレーションのはけ口」にしたり「憎むべき存在」と位置付ける親に生きる資格はない。子どもを虐待し殺した犯人の映像がニュースで流れるが見るからにろくでもない奴ばかりだ



子どものイジメについては大人たちの責任だ。日本人は繊細でとても優しい人種だと思う。だが不器用な人や空気を読めない誰かをエサにして自分を表現する道具として使う人も少なくない。あるいは悪意はなくても特有の雰囲気を醸し出しターゲットを決めて空気を作り、人を追い込んだりもする。我々大人がやってきた習慣、あるいはやってはいないが見て見ぬふりをしてきたせいで悪しき習性がそのまま次世代にも伝わっている。だからこれらは僕も含め「大人の問題」で「大人の責任」だ。せめて子どもたちが辛い時に悩みを打ち明けられる窓口のような存在でいられるよう工夫して全力で子どもたちを支えよう。それでも解決に向かわない場合は転校させるなり学校へ行かない選択をするなどの幅を広げる社会を目指すことで責任を全うしよう



そして大人の「しにたい」。これを聞いてある意味とても正常な国だと思う。平和で豊かさ故の表裏現象。夢がある、衣食住が不安定、殺されるかもしれない状況では「生」に執着し、夢がない、衣食住は問題ない、殺される心配がない状況だと「死」に着目する



世界は曖昧で抽象的で素晴らしい言葉で埋め尽くされているが、何かをキッカケに自分の心が灰色に染まってしまうとなかなか抜け出せない。霞んだフィルターで世の中を眺めると「そもそもなぜ生きているのだろう」と考え、生きる無意味さを見つめマイナスな思考が脳内を泳ぎだす。誰かが語る「夢や希望をもって生きよう」や「人間に、日本人に生まれる奇跡的な確率」と言われても心は無重力状態、耳に入らない



また、周りから「強い人」と評価される、愛や勇気をもたらす伝道師のような人に限って死を見つめていたりする。今まで人に発信していたことが「自分の型」になり身動きがとれなくなる。他人から見られる自分像に固執して息苦しくなる。例えば「絶対に泣かない」と人に語った自分のイメージを貫くために泣きたいときに泣けない環境に自らを追い込んでしまう。ある意味マジメで正義感の強い人がこの渦にはまりやすい



違うケースでは名声、栄光を通り過ぎた人が「死」または「薬物」で現実逃避する。
「大きい舞台」が人生のメインとなり「小さい幸せ」には鈍感になる悲しい宿命だ



きっと死にたいと言うよりは生きる意味が見つからないのだろう。もしかしたら「人」との関係にばかり神経を使い「自分」との関係がうまく築けていなかったのかもしれない



とにかく小さくてもいいから「タスクを建てる」「自分を再構築」することを提案したい



「好きな人と週末デートをする」「近々大金が入る」「待ち望んでいた商品が届く」「あの人の喜ぶ顔が見たい」「来週からハワイだ」「この本の続きが気になる」「好きな人を振り向かせたい」など大きい小さい関係なく何らかの欲求、希望がある時に「しにたい」とは考えない



だから小さいタスクでいい、見つけてほしい



さらに今まで自分に影響をあたえてきたものと決別、断捨離も必要だ



僕の友人で仕事が忙しい時は愚痴を言いながらも生き生きしているのに、長い休みの後はいつも死人の様な顔をしている。その理由を尋ねるとヒューマン系の暗めなノンフィクション作品を見ているうちに自己投影してしまい軽いうつ状態になると言う。その感情になるとわかっていても観てしまう引力に勝てないらしい。弱いといえばそれまでだが僕にも理解できるところがある。だから興味があっても自分の五感に悪く作用する人、本、映画などは断捨離した。どうやら共存していても影響を受けないほど僕も強い人間ではないらしい




そして自我の再構築。自分ではあまり自覚がないかもしれないが僕たちは何らかしらに影響を受けて生きている。環境プラス影響を受けた何かと生まれつきの個性がブレンドされ自分というオリジナルになっていく。見方を変えれば何と寄り添って生活するかによって運命の流れや自分を変えていくことは難しいことではない。自分にとっていい影響を及ぼさない人、モノ、作品などの縁をどんどん断捨離して心に新しいスペースをつくり、そこに新しく選択した未知なる喜びをどんどん取り入れていこう。心は何度でも生まれ変われるから



世の中楽しいことだらけだなんてウソを言う気はない



だが素敵なことも出会っていないだけで沢山埋もれている



とにかく自分の選択次第でいくらでも次の未来があることを伝えたい




「バタフライエフェクト」



ほんの些細な事が徐々に大きな現象の引き金に繋がるという考え方



この小さな言葉がやがて狼煙になり誰かの消えそうな生命に届くことを願いたい

 

 

 

燃え上がる炎