自己満足に花束を



無駄遣いはしない。節電、節水、ガソリンもなるべく安いところで入れる。そのくせ花や観葉植物のある生活を好み、ちょっとお高い焼き肉屋、一流のホテルを選ぶ。これを無駄遣いとは思わない



2000円の箸置きを買い、数十万円する「流木」のオブジェを買う。基本的に生活に不必要なモノが自分のエネルギーの源になっていることが多い



その代わり車は新車を買ったことがない。極端に言えば走ればいい。家族にしてみたらわけのわからない「木」より「もっといい車を買ったら」と言いたいところだろう。家族にも節約を要求する。だけどよくよく考えて本当に欲しいものなら高額でも購入する



最近買ったモノは江戸時代の根付(着物の帯につける小物)お値段8万円。家族には「ナニこれ?」と言われ、変な顔をされたので1500円で買ったと変な嘘をついた。だけど僕はすごく気に入っている。仕事用のデスクに置いただけなのにその存在から不思議なメッセージが伝わってくる。好みの空間にすることで豊かな気持ちになる



誰にもあると思う。人からしたらどうでもいいことでも自分にとっては重要なこと。とても大事な ”自己満足”



そして自分の気分を高揚させるものを発見し「心の部屋数」を増やしていく



とにかく「趣味」より「興味」を増やす。僕の勝手なイメージだがせっかく始めた趣味だからといった固定観念が生まれてしまう気がする。例えばゴルフセットを買ったから当分はゴルフを続けないと無駄になってしまうしゴルフに合わせたスケジュールにしなければならないというような…



僕はスポーツでもショッピングでも読書でもその時の気分でやりたい。なにより興味は飽きても目移りしても問題ない。だから「趣味」より「興味」をオススメする



昔は高価な宝石、高級ブランド品だらけの人を否定していた時期があったが最近は肯定している。当たり前だが色んな人がいるから世界は回っている。決して真似をしようとは思うものばかりではないが、その人の美学と見識を否定する人間でいたくない



自分だって人から見たら正常かどうかなんてわからない。普段無駄遣いはしていないつもりだが、2000円の箸置きを買い、数十万円する「流木」のオブジェを買う人間が人を否定できるはずもない。高級品も組み合わせによってはカッコいいし、とやかく人がどうこう言うことじゃない。結局、その人の気分がいいことがその人にとっていいモノなのだから



心の栄養になるものは人それぞれ。「趣味」に求める人、僕のように「興味」にそれを求める人、「他人」に求める人、あるいは「徹底的に節約して貯金」をする人、すべて正解。動機は様々。それが自己満足に繋がっていくなら選択に間違いなんてない



ときに「あの人の自己満だよ」などと否定的な意味で使われることの多い言葉だが自己満足こそが生きる根源だと僕は思う。もちろん自己満足の方向を他人に向けて迷惑をかける愚者は論外として、自分を満たすことはとても大事なこと。この「自己満足」という言葉にもっと“デカい態度”を取って欲しいと思っている。僕たちを幸せにするキーワード。僕たちは多くのモノ、作品、感動に出会える時代を生きている



麒麟に餌をあげる子供