決断の雄飛



最近家の中に緊張感がある



ピリリとする程ではないがいつものように大らかに笑えない



それは長女が大学のセンター試験を受けるから



成績は優秀だが長女が狙う大学は超一流



希望する大学の模擬試験のⒶ~Ⓔの判定ではいつもⒹ、良くてⒸ判定



親としては、もっと合格率が高くて良い大学も他にあるのだから方向を変えたらとアドバイスした



だが長女は譲らない



普段あまり自己主張をしない長女だが、勉強に対してだけはプライドを持って挑んできた強い意思があり、なにがなんでもその大学に挑戦したいと



しかもほかの大学なら行く気はないと併願もせず、センター試験の結果に関係なく目指す大学一本勝負で行くという決心



もし受からなかったときには、僕と妻のアドバイスを全て受け入れるからこの挑戦をさせてほしいと相当な覚悟と心意気



だが僕は現実的に無謀な挑戦だと思っている






ある日の夜、いつものように夕飯を食べ食器を下げて勉強に向かう真剣な長女の横顔を見たときふと、ものすごく大切な気付きが脳裏をよぎった



今までずっと「挑戦に意味がある。例え叶わなくとも負けて得るモノがある」と語ってきた自分の矛盾



リスクを避けて挑戦に否定的なアドバイスしてしまったことを悔いた



せっかく意思を持って挑んでいるのに僕は長女の落胆する姿をみたくないばかりに目先の合格、不合格に囚われすぎていた

 

長女にとっては、その大学に立ち向かわないことが本当の落胆かもしれないのに



そして人生を俯瞰したとき、自分の決断で生きるということを経験できるチャンスなのに






若い頃、僕は上手くいかないことを時のせいにして逃げていた



だからこそ挑戦から目を逸らして後悔をしないように伝えてきたはずだった



それなのに、確率が低いからといって娘の背中を支えてやれないなど何のための親であり、何のための人生経験か?



合格の確率が低いことは本人が一番わかっているのに



ごめんね。パパが間違っていた。目先の安心を勧めて、君の挑戦する気持ちを大切にできなかった






また何かから逃げるところだった



でも君の覚悟と勇気で目が覚めた



どんな結末になっても挑戦した君の決断を誇りに思うよ



マラソンをしている女性