先日、妻の故郷である福島県に行ってきた
台風19号の被害から2週間ほど経過した時期だったが、町中に災害ごみがあふれ被害の大きさが痛々しく伝わってきた
離れた場所に住み、テレビやインターネットのニュースでしか情報を知ることができなかった僕が理解していた状況は、ごくごくわずかな側面だったことを思い知る
被害を目の当たりにしても、もし自宅が浸水し、生活用品のすべて何から何までを失うことは想像しきれなかった
歩道に積み重なっている泥だらけの畳、ソファー、冷蔵庫、テレビ、鍋や布団やランドセル
被害は農作物にも及び、自然の猛威に言葉を失う……
自分にできることは何もない
だが、この現状を記しておきたいと思った
福島県中通りの中心部に位置する郡山市の二か所あるごみの焼却場のうち一か所が浸水し、いまだに稼働できず目途もたっていない
そのことから、市内の災害ごみの収集も遅れていて人々の暮らしの復旧を妨げている
仮置き場に山積みになった災害ごみからは、悪臭が発生していた
子供たちはマスクをし、長靴を履き登下校していた
授業が再開できずしばらく休校した学校もあった
災害ごみは分別もなにもない
細かく分類するには困難な状態
やむを得ないがガスが入ったままのスプレー缶が混ざっていて仮置き場から出火してしまう事態も起きてしまった
出来る限り分別しごみを減らすよう、自治体からの指示が出ているが現実的には難しい問題になっている
滞在中、入院中の親戚のお見舞いに伺った
病院の待合ロビーで居合わせた、70代ほどの女性と話をした
自宅が浸水し、親戚の家に寝泊まりしていると話していた
「早めに避難したから命は助かった、だけどこのカバン以外もうなにもない」と目に涙を浮かべて僕に話をしてくれた
営んでいた農業も辞めることにしたと…
僕は「でも命が助かって本当に良かったです」と素直な思いを伝えたが、そんな言葉など一時の慰めにもならないほど女性の心中には深い悲しみや、数々の思い出、言葉にはならない嘆きがあっただろう
なにかもっと励ますことができる言葉はないかと色々と考えたが、この人の心を支える言葉は見当たらなかった
被害に遭われた方たちに国や自治体から最大限の補助や支援が行き届くことを切に願うと同時に、甚大な被害を教訓に、災害大国と呼ばれている日本が少しでも安全と安心を確保できること、そして一つ一つの経験を糧にこの国がまた一つ強くなることを信じて
色々起こってしまう、けれど何度でも立ち上がる日本
偽善的行為から始まった僕のボランティア精神は311で崩壊し、募金などをすることで被害に遭われた方と自分の心の隙間を自分の為に埋めていた
それはそれで間違った行為ではないが、改めて何ができるかを考える自然災害になった
一日も早い復旧、復興、みなさんの日常が戻るよう心から祈ります